『神在月のこども』2022年2月8日ネトフリ独占配信決定!
『神在月のこども』(原題:)
日本公開年月日:2022年2月8日ネトフリ独占配信です!!
「神在月のこども」あらすじと予告編
引用:Netflix
少女の名は、カンナ。
母を亡くし、大好きだった”走ること”と
向き合えなくなったこども。(Netflix)
「その島国の根に在る場所へ。
駆ける少女のものがたり」
「神在月のこども」を期待する声・レビュー
「神在月のこども」TOHOシネマズ日比谷で。
出雲に神々が集う伝承をもとに、母をなくした少女が兔と鬼の少年に導かれ、神話の地へと走るファンタジー。神話の力で再生する物語だし、島根にロケしたご当地映画。アニメ演出は少々粗いが、自分が引きずってきた影に飲まれるシーンはリアルだった。 pic.twitter.com/4OGu5qJhGx— マサル☆ (@masarutak) October 24, 2021
今年見た映画で 一番よかったのが
「神在月のこども」でした!
この映画には 励まされ走りだす
元気をもらいました!
主人公「カンナ」のように
好きなものを信じ2021年
しっかり走りきります! pic.twitter.com/TdinFyOreA— 匠海 (@TT20001108) December 4, 2021
「神在月のこども」登場人物とキャスト紹介
出典:映画ナタリー
原作・コミュニケーション監督:四戸俊成
アニメーション監督:白井孝奈
脚本:三宅隆太 / 瀧田哲郎 / 四戸俊成
監督:岩波美和
主演
蒔田彩珠 坂本真綾 入野自由
新津ちせ 永瀬莉子 高木渉 茶風林 神谷明
監督は、四戸俊成監督と岩波美和監督。
自分のお馴染みの皆さんと、一番得意なことを存分にやりました。ワクワクする絵がたくさん上がっています。楽しんでいただけるかと思います! 爽快なアクションや、美しい背景美術はもちろんのこと、今回はさらに、思いもよらないところに皆さんを連れていけると良いなと思っています
荒木哲郎
エンディングテーマ『神無-KANNA-』はmiwaが担当しています。
「神在月のこども」のネタバレなしの感想
引用:Netflix
“主人公は、現代を生きる、12才の少女。
母の他界で、好きだった走ることが嫌いになってしまったこども。
その彼女が、在る月、まわりはじめた神々の歯車によって、
出雲へ向けて走り出す物語。”
「神在月のこども」舞台となるのは島根県出雲。
母を亡くし、大好きだった”走ること”と向き合えなくなったこどもカンナが主人公です。
そんなカンナがお母さんの形見に触れるとた神の使いの、うさぎが現れて、カンナを出雲の国に誘います…
“諏訪神社””出雲大社””牛島神社”など、実際の島根に現存する神社が数多く出てくるのもこの映画の特徴です。
そんな目には見えない「神の世界」が身近に感じられる映画だと評判です。
「神在月のこども」のネタバレ感想・考察
【ここからは物語の核心を含むネタバレとなります。閲覧される場合はご注意ください。】
※ただ、このネタバレは本作品を観た管理人が解釈して内容を述べ、映画の断面を捉えてるに過ぎません。興味の沸いた方は是非本編をご覧くださいませ。
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東京に住む小学6年生の女の子・カンナは、去年のマラソン大会の日に母が亡くなってしまったことで、心に深い傷を負っていました。
そのせいで今年のマラソン大会では、ゴール直前で走れなくなるという事態に陥ります。
落ち込むカンナの前に現れたのは、亡くなった母・弥生と知り合いらしい因幡の白兎の末裔・シロでした。
カンナはシロから、韋駄天だった弥生の代わりに出雲の神々に馳走を届けねばならないと告げられます。
そうして島根まで走って行くことになったカンナは、その道中で様々な経験を積み、母の死から立ち直って精神的な成長を遂げたのでした。
主人公のカンナは、東京都墨田区にある小学校へ通う12歳の女の子です。
彼女は走ることが大好きでした。
しかし、ちょうど1年前に行われた校内マラソン大会の日に母・弥生が倒れ、そのまま帰らぬ人となって以来、カンナは精神的なものが原因で走れなくなってしまいました。
もうじき今年のマラソン大会が開かれるから・・・と父・典正が新しい靴を買ってきても、サイズが小さいと言って受け取らず、体育の授業も仮病を使って休むほど、その心の傷は深いものでした。
それでも、いざマラソン大会がスタートすると、カンナは持ち前の足の速さを発揮し、かなり良い順位でゴールのある校庭まで戻ってきました。
ところが、あと少しというところでカンナの目に自分を応援する典正の姿が映り、それにより弥生がもう何処にもいない現実を改めて突きつけられた彼女は、急に足を止めたかと思うとそのまま蹲ってしまったのです。
典正が慌てて声をかければ、カンナはの心はますます傷つき、衝動的にその場から逃げ出してしまいます。
そうしてたどり着いた先は神社で、その境内でカンナはポケットに忍ばせていた弥生の形見である勾玉を自身の手首に巻きつけました。
すると学校で飼育しているうさぎのシロが現れて、なんと人間の言葉を話し出したのです。
かの有名な因幡の白兎の子孫であるらしいシロは、弥生が実は韋駄天神の末裔で、日本中の神様が出雲大社へ集結して行われる神議りのため馳走を届ける役目を担っていたのだとカンナに説明します。
そして、代々受け継がれている神具である勾玉を身に着けたことで韋駄天神の正式な後継者となったカンナに、その役目を全うするよう求めてきました。
当然カンナは困惑し、島根県まで走っていくなんて無理だと断ろうとします。
しかし、食い下がるシロの言葉を曲解し、出雲大社へ行けば弥生と再会出来ると思い込んだカンナは、韋駄天神としての役目を引き受けることに決めたのでした。
そうしてカンナは神議り用の馳走を留守神から預かるために各地の神社を巡りながら、神々の集う地を目指して走り始めました。
その道中、彼女の身には様々な試練が降りかかります。
それでもカンナは母との思い出を胸にそれらをどうにか乗り越えて、神議りの場に馳走を届けるという大役を見事に果たしてみせたのです。
結局弥生と再び会うことは叶いませんでしたが、カンナの胸中は晴れやかでした。
かつて弥生も何度となく辿ったという東京から島根までの道程を同じように走ったことで、大好きな母ともう一度会えたような気がしていたからです。
こうして母親の死という悲しい出来事のせいで立ち止まっていたカンナは、再び前を向いて走り出したのでした。
本作の見どころは、大好きな母親を喪った悲しみから立ち直れずにいる少女・カンナが、突然その母が生前担っていた役割を背負わざるを得ない状況に追い込まれ、いくつもの出会いを通
して自分自身と向き合い、様々な心の葛藤を乗り越えて成長していく姿です。
顔つきが明るく、凛々しくなったカンナをシロたちが見守っているラストシーンは、胸に迫るものがあります。
また、東京都内から島根県の出雲大社まで走っていく旅路は、実在する神社等が美しく描かれており、壮大かつ繊細な景色が観客の目を楽しませてくれます。